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第3日 二子玉川(用賀)〜荏田(その1)

                                  歩いた距離 15.7km     2002.05.25  

 前回は用賀から真福寺、行善寺を通り、二子の渡しにでる南側の道を行ったが、
今回は玉川神社のある北側の道を行くため、再び用賀で下車する。

yagu03-01.JPG  延命地蔵がある三叉路で、前回の道と分かれ
右の道を行く。

 環八を過ぎてから少し左にはいると、小さな瘡守稲荷神社がある。
右アのキツネが玉と一緒に子キツネを抱えているが、子供の甘えた仕草は狛犬の親子と
同様である。

 住宅地の中を行くと玉川神社の手前に、馬頭観音と笠付庚申塔がある。

yagu03-02.JPG そこを右に行くと玉川神社の脇に出る。

 拝殿の前に唇が厚い明治33年(1900)の「江戸耳長」狛犬がいる。
左右ともに子狛犬がいて、丸々太った子狛が親に甘えている表情がよい。
石工は溝口の内藤慶雲である。

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 他に昭和43年(1968)の大型の「新しょうわ」と
石段を下がった鳥居のところに昭和39年(1964)の「しょうわ」狛犬がいる。

 神社の参道の石段を下ると、大山道にもどる。
この道は二子玉川駅に行く車や人通りが多い道である。

 次太夫堀という細い水路があり、「筏みち」と書かれた石碑がある。 

 次太夫堀とは、代官小泉次太夫が慶長2年(1597)から15年かけて開発した
世田谷から六郷までの農業用水で、正式には「六郷用水」という。

 また筏みちとは、奥多摩で切り出された丸太を筏に組んで多摩川を流したが、
品川湊で船積みされると筏乗りたちは品川道を歩いて戻ったことから筏道といったという。

 ちいさな古い商店が目につく通りを行くと多摩堤通りに出る。
その先は多摩川の河川敷で、散策している人、家族づれの人、野球をやっている人が多い。

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 二子橋で多摩川を渡る。

 二子橋は大正14年(1925)に
できたが、それ以前は舟渡しであった
という「二子の渡し」の説明板がある。
その横に古い橋の親柱が残されて
いる。

yagu03-25.JPG  多摩川沿いの小さな公園に、岡本かの子の「としとしに わが悲しみの
 深くして いよよ華やぐ いのちなりけり」の歌碑と、子息岡本太郎の
「誇り」の彫刻がある。岡本かの子はこの地に生まれたという。

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 この公園は二子神社の境内の一角である。

 拝殿前に、尾が大きく上に巻いてから下がっている
昭和4年(1929)の「江戸」狛犬がいる。

 左ウンはひしゃげ顔で笑っているようである。
右アの顔が欠けているのが残念。

 大山街道は溝の口まで商店街が続く。

 左に岡本かの子の生まれた大貫家(かつては病院)があったが、マンションに建て替えの
工事中であった。

 道をはさんで光明寺がある。かつて二子学舎という初等教育を行ったところで、
そこで早世した文学者、大貫雪之助(かの子の兄)が学んだという。

 この道の古くからの店の前には「口上」書きがあり、その店の由緒が短文で書かれている。

 瓦屋根と土壁、二階に頑丈な格子窓がある蔵造りの呉服店がある。

 江戸時代からあるという灰吹屋薬局がある。店は蔵造りである。

 川崎市の「大山街道・ふるさと館」に行く。矢倉沢往還の展示館である。

 「糀ホール・ギャラリー糀」と書かれたしゃれた酒屋がある。昔は造り酒屋であったが、
戦時中からは造っていないという。

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 溝の口・二子宿の問屋跡の説明板がある。

 その先に二ヶ領用水がある。
 二ヶ領用水は江戸時代初めに作られた川崎領と稲毛領に
またがっている農業用水である。
 河岸や周囲を花壇にしたりしてきれいに整備している。

 寛永19年(1642)創業の国木田独歩が泊まったという亀屋旅館がある。
今は封鎖されている。

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